「時間を使う=命を消費している」
「時間を使う=命を消費している」
こんな風に考えるようになったのは、20代の後半のある年の事。
不幸というのは本当に重なるもので、その年、友人や当時お付き合いしていた女性など合計7人が、過労死や急性心不全等で突然亡くなりました。
悲しむだけの精神的余裕などありませんでした。涙が全く出なかったのです。悲しみ以上に恐怖に支配されていました。
「次に死ぬのは自分かもしれない」
そして私自身も過労で倒れ、意識を失い救急搬送されました。幸いにも命に別状はなく、8日ほどの入院で退院できました。この一件があってから恐怖は確信に変わりました。
時間=命
時間を使う=命を削っている
1時間作業すれば1時間分、自分の命を削っているのだと。
対人関係に対しても視点が変わりました。少し大げさかもしれませんが、極端な話【この人は自分の命(時間)を差し出すに値する人間かどうか】です。値しないと判断したら、即座に縁を切る。そうやって人間関係も整理しました。具体的には「人や物に感謝できない人間」「ありがとうと言えない人間」です。
自分の行いによって相手に感謝して欲しいわけではありませんが、「人や物に感謝できない人間」や「ありがとう」と言えない人間に対して、時間を使う(命を削る)のは本当に惜しいと思ったからです。
時間を使う事は命を消費している事だという自覚、ありますか?